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罪悪感って

好きな人がじぶんを責めて生きている。
もうやめたら?と何度言っても、やめることはできないと言う。
俺が人生を狂わせたから、できることをできる限りしたい。と言う。
それなら仕方ない、気がすむまですればいい。
わたしは当事者ではないから、ほんとうのほんとうには、きっとわからないから。
ただ、
もういいか。
誰かを傷つけた償い、贖罪、そうじゃなくて、じぶんの人生を楽しく生きれたら、そういうふうに、
罪の意識がなくなって、生きていけるように、毎日少しでも楽しくすごせるように。
その、もういいか。って思えるところに、わたしという存在が、あれば嬉しいと思った。

罪を償うということは、途方もない。
どんなに、もういいよと言っても、じぶんがじぶんにマルをあげないと終わらない。

幸せに、どうか幸せに生きて欲しい。
そう思うことすら、わたしは傲慢なのかな。

今のままでいいと言う、好きな人のことを、幸せに生きていないなんて、決めつけてるわたしは…

わたしはいいひと?わるいひと?

罪悪感。
罪悪感からくる罪の償いは、だれも幸せにしないと思う。

償う人は、せおっている。

罪。

おのれは決して幸せに生きてはいけない。
そして、償われる人は、償う人と深い関係であればあるほどに、
まぁだいたいがそこまで罪悪感をもつのだから深い関係の、たいせつな相手であればあるほどに、苦しむんじゃないかな。

償うことで、相手を幸せにすると思うことは、傲慢か?

それを、ただ見守り、祈るしかできない、わたし。

罪悪感。
誰のことも傷つける。
償う人を、たいせつに思っていればいるほどに、償われる人も、そうじゃない人も、傷つける。

償う人も傷ついている。

終わらない、いつまでも。
もういいよと、じぶんがじぶんを許せなければ。

まわりまわる。
ずっとおなじところにいる。
ほのぐらい水の底にいるかんじ。

それでいいと、俺はこのままでいいと
ここから動かなくていいと
そう言うあなたを見て悲しいのはどうしてだろう